平重盛(Taira no Shigemori)
平 重盛(たいら の しげもり)は、平安時代末期の武将・公卿。平清盛の嫡男。
保元・平治の乱で若き武将として父・清盛を助けて相次いで戦功を上げ、父の立身に伴って累進していき、最終的には左近衛大将、正二位内大臣にまで出世した。嫡男ではあったが継室の時子の子である宗盛や徳子とは母が異なり有力な外戚の庇護はなく、正室が藤原成親の妹・経子であったため、成親失脚後は一門のなかでは孤立気味であった。政治的には平氏一門の中で最も後白河法皇に近い立場にあった。清盛の後継者として期待されながらも、清盛と後白河法皇の対立では有効な対策を取ることができないまま、父に先立ち病没した。
六波羅小松第に居を構えていたことから、小松殿ないし小松内大臣とも、またその邸宅に48の灯籠(灯篭)を建てていたことから灯籠大臣とも称された。
(出典:Wikipedia)
平重盛の名言
此事ゆめゆめ御けしきにも御詞にも出させ給ふべからず。人に心づけがほに、なかなかあしき御事なり。
現代語訳:このようなことは、絶対に態度や、言葉には出してはいけない。人に気づかれてしまうことになって、かえって悪い結果を生むのである。
忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず
現代語訳:後白河上皇に忠義を尽くそうとすると、父清盛へ孝行をすることができず、父清盛への孝行をしようとすると、後白河上皇に忠義を尽くすことができなくなるのである。
年号は平治、都は平安、我らは平氏、三つ同じ(平)だ、ならば敵を倒してしまおう。
私の進退はここに極まりました。後白河上皇に剣を向けるならば、私の首をここで刎ねてください。もしここで首を刎ねられれば、私は後白河上皇への忠義も父への孝行も両方とも果たす事ができずに死ぬことができます。
平重盛関係者の名言
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