平清盛名言集|日本初の武家政権を打ち立てた源氏と対立した平家の首領から学ぶ言葉

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平清盛(Taira no Kiyomori)

平 清盛(たいら の きよもり)は、平安時代末期の日本の武将・公卿。

伊勢平氏の棟梁・平忠盛の嫡男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任じられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた(平氏政権)。

平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、治承三年の政変で法皇を幽閉して徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握るが、平氏の独裁は公家・寺社・武士などから大きな反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、病没した。

(出典:Wikipedia)

平清盛の名言

平家にあらずんば人にあらず(この一門にあらざる者は皆人非人なり)
現代語訳:平家の一員でないものは人ではないのである。

 

天下の事は宗盛に任せ、異論あるべからず
現代語訳:天下のことは(平)宗盛に任せ、異論は認めないのである。

 

我の子、孫は一人生き残る者といえども、骸を頼朝の前に晒すべし
現代語訳:家に所属する子どもや孫は、最後の一人になったとしても、源頼朝に、自分の骸(=死体)を見せるまで、戦いなさい。

 

葬儀などは無用。頼朝の首を我が墓前に供えよ。

 

 

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