源義経名言集|牛若丸と呼ばれた平家を滅亡させた源頼朝の弟から学ぶ言葉

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源義経(Minamoto no Yoshitsune)

源 義経(みなもと の よしつね、源義經)は、平安時代の日本の武将。鎌倉幕府初代将軍源頼朝の異母弟。仮名は九郎、実名は義經(義経)である。

河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と言った。平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となった。その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼った。しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃した。

その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉を始め、多くの伝説、物語を生んだ。

(出典:Wikipedia)

源義経の名言

いくさといふ物は、一ひきもひかじと思ふだにも、あはひあしければひくは常の習なり。もとよりげにまうけしてはなんのよかるべきぞ。
現代語訳:戦いというものは、絶対に引くことはないと思っていたとしても、状勢が悪ければ引くのは常にあることである。はじめから逃げ支度をしては、なんのよいことがあろうか、いやないのである。

 

 

 

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