北条義時名言集|承久の乱に勝利した鎌倉幕府の指導者から学ぶためになる言葉

この記事は約2分で読めます。

北条義時(Hōjō Yoshitoki)

北条 義時(ほうじょう よしとき、長寛元年(1163年) – 元仁元年(1224年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。北条氏の一門。鎌倉幕府の第2代執権。伊豆国の在地豪族・北条時政の次男。北条政子の弟。得宗家2代当主。

1219年に、源氏将軍が断絶すると、得宗の義時が鎌倉幕府の実質的な指導者となった。幕府と朝廷の対立が激化すると、1221年に後鳥羽上皇より義時追討の宣旨が全国に発布され朝敵となるも、幕府軍は京都に攻め上り朝廷を制圧。後鳥羽を含む3人の上皇を配流し、践祚していた後鳥羽の孫の懐成親王(九条廃帝。明治時代に仲恭天皇と諡)を廃した(承久の乱)。

(出典:Wikipedia)

北条義時の名言

一人も残らず殲滅せよ。山狩りをしても召し捕れ。敵を掃蕩せずに功を急いで京に攻め上ろうとしてはいけない。

 

今は自分に思い残す事はない。この義時の前世からの果報は王の果報に勝っていたのだ。この世に報われる善行が一つ足りなかったために、卑しい身分に生まれたに違いない。

 

朝廷を倒すための上洛でこのような怪異が起きた。幕府の運命もこれまでという前兆だろうか。

 

 

 

北条義時関係者の名言

源頼朝名言集|鎌倉幕府を開いた征夷大将軍|座右の銘にもなる北条政子の夫の言葉

北条政子名言集|尼将軍と呼ばれた鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻の言葉