親鸞名言集|浄土真宗の宗祖である法然の弟子である仏教家から学ぶ座右の銘

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親鸞(Shinran)

親鸞(しんらん、承安3年4月1日 – 弘長2年11月28日)は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の仏教家。浄土真宗の宗祖とされる。

法然を師と仰いでからの生涯に亘り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地に簡素な念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が[要出典]、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で[要出典]、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)の草稿本が完成した1224年(元仁元年4月15日)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。

(出典:Wikipedia)

親鸞の名言

ただ念仏のみ、まことであるのである。

 

悪い本性はなかなか変わるこたなく、それはあたかも蛇やさそりのようである。だからたとえどんなよい行いをしても、煩悩の毒がまじっているので、全て偽りの行となってしまうのである。

 

人間というのは契機がなければ一人の人だって殺せないのである。しかし、契機があれば百人、千人、殺したくないと思っていても殺すこともできてしまうのである。

 

いまから町へ出ていって、通りがかりの者でも誰でもよい。手当たり次第に千人殺してきなさい。

 

一人で喜べば二人で喜んでいると思うべきである。二人で喜んでいるときは、三人と思うべきである。

 

我はほどなく浄土に帰ることになります。この世に言いおくこと一言もありません。

 

「凡夫」という者は、煩悩や欲も多く、怒ることや腹を立てること、そねみやねたむ心が多く、死ぬ前のの一年になっていても、その傾向が止まること消えることは全くないのである。

 

明日もまだ桜は咲いていると思っているが、夜更けに嵐がきて桜の花を散らすことがないといえようか、いやそんなことはないのである。

 

どんな悪人であったとしても念仏だけで往生できる。

 

 

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