井伊直政名言集|赤い甲冑を纏い赤鬼と恐れられた徳川家康の天下取りを支えた猛将から学ぶ言葉

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井伊直政(Ii Naomasa)

井伊 直政(いい なおまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。井伊氏第20代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。

徳川氏の家臣(家臣になった当時は外様)。遠江国井伊谷の出身で、『柳営秘鑑』では榊原氏や鳥居氏と並び、「三河岡崎御普代」として記載されている。また、江戸時代に譜代大名の筆頭として、江戸幕府を支えた井伊氏の手本となり、現在の群馬県高崎市と滋賀県彦根市の発展の基礎を築いた人物でもある。

徳川二十八神将に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されている。滋賀県彦根市では、直政が現在の彦根市の発展の基礎を築いたことを顕彰して、「井伊直政公顕彰式」という祭典が毎年行われている。

(出典:Wikipedia)

井伊直政の名言

醤油はありませんか。

 

先祖より仕えた主君に背いて殿下に従う臆病者と同席すること、固くお断り申す。

 

いい機会ですから秀吉を討ち取りましょう。

 

武士の子をそのように用心してなんとするのであるか。放して討死すればとて、それだけのことである。

 

逃すべきではない敵と思ったなら敵がいると誰かに知らせるよりも前に相手に討ちかかるべきである。

 

昔、殿が名馬を下さった時に子倅だの何だのと馬鹿になされましたが、このような大身になれたのは、名馬に違わぬ働きをしたからでございます。目が暗かったのは本多殿の方でありましたな。

 

(辞世の句)祈るぞよ 子の子のすへの 末までも まもれあふみの 国津神々

 

 

 

 

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