源義朝(Minaoto no Yoshitomo)
源 義朝(みなもと の よしとも)は、平安時代の河内源氏六代目棟梁。源為義の長男。母は白河院近臣である藤原忠清の娘。源頼朝・源義経・源範頼らの父。
源義家の死後、河内源氏は源義光を発端とする内紛によって都での地位を凋落させていた。都から東国へ下向した義朝は、在地豪族(多くは坂東平氏)を組織して勢力を伸ばし、再び都へ戻って下野守に任じられる。東国武士団を率いて保元の乱で戦功を挙げ、左馬頭に任じられて名を挙げるが、3年後の平治の乱で藤原信頼方に与して敗北し、都を落ち延びる道中尾張国で家人に裏切られ謀殺された。
(出典:Wikipedia)
源義朝の名言
(坂東での)私合戦では朝家の咎めを恐れ、思うようにならなかったが、今度の戦は追討の宣旨を受け、心置きなく戦う事が出来るのである。
我れに木太刀の一本なりともあれば
現代語:私に木や木刀の一本さえあれば。
源義朝関係者の名言
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