平教経名言集|屋島や壇ノ浦で義経と戦った平家随一の猛将から学ぶ言葉

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平教経(Taira no Noritsune)

『平家物語』では、数々の合戦において武勲を上げ、「たびたびの合戦で一度の不覚も取ったことはない」「王城一の強弓精兵」と言われる平家随一の猛将であり、源義経の好敵手的存在として描かれている。

都落ち後、退勢にある平家の中でひとり気を吐き、水島の戦い、六ヶ度合戦、屋島の戦いで奮戦して源氏を苦しめた。最後は壇ノ浦の戦いの敗戦の中さんざんに戦い、源義経に組みかかろうとするが、八艘飛びで逃げられ、大男2人を締め抱えて海に飛び込んで死んだ。

ただし、鎌倉幕府編纂書の『吾妻鏡』では教経はさほど目立たない武将で、一ノ谷の戦いで甲斐源氏の一族である安田義定の軍に討ち取られ、京都で獄門になっている。一方で、『玉葉』、『醍醐雑事記』などの別の史料では一ノ谷生存説もあり、猛将であったことを含め教経の実像については不明な点が多い。後述の通り、平家の落人として徳島県祖谷地方を開拓したのは教経であるという説さえも存在する。また四国・九州に伝わる河童の妖怪海御前は教経の妻(もしくは母親)の化身だと言われている。

(出典:Wikipedia)

平教経の名言

いくさをば我身一つの大事ぞと思うてこそよう候へ。狩、漁などのやうに、足だちのよからう方へむかはん、あしからう方へむかはじなど候はんには、いくさに勝つ事よも候はじ。幾たびでも候へ、こはからう方へは教経承てむかひ候はん。

【現代語訳】
いくさとは、自分自身の一大事だと思ってこそよく戦えるものである。狩や漁などのように足場のよいところへ向かった方がいい、悪い方へは向かってはだめだなどと言っていたのでは、戦いに勝つことは決してないのである。何度でも大丈夫である。手ごわいほうは、この教経がお引き受けする。

 

者ども、北国の奴ら生捕られては残念であろう、さあ味方の船を組め

 

舟戦にはやり様があるものだ

 

ならば、敵の大将と刺し違えん

 

さあ、われと思わんものは組んで来てこの教経を生け捕りにせよ。鎌倉の頼朝に言いたいことがある

 

 

 

 

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