前田利長名言集|関ケ原で西軍として戦った加賀藩初代藩主から学ぶ言葉

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前田利長(Maeda Toshinaga)

前田 利長(まえだ としなが)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。加賀藩初代藩主。加賀前田家2代。藩祖である前田利家の長男(嫡男)。初名は利勝(としかつ)、天正17年(1589年)頃に利長と改名した。

若年より織田信長・豊臣秀吉旗下の指揮官として転戦した。秀吉の死後は政治的判断をした上で徳川家康に帰順し、江戸幕府成立後に加賀藩の礎を築いた。

(出典:Wikipedia)

前田利長の名言

あなたもご存じのように、私は重病を患っており、邸内を歩くことさえままならないのである。そして、藩主利常は徳川家の婿についているため、いくら私と親子の間柄といえども、私から利常を説得することなど出来ないと思うものである。参陣出来きるのは、今や藩職を退いた隠居たちと病身の我れのみである。大坂に何かの災難があれば、この者たちの人数はいつ何時にても進上したいと思う。

 

私の命はもう長くはない。心配なのは、藩主利常が未だ若年にあることである。私が死んだ後は、政重、そなたが利常の補佐となるようにせよ。徳川は必ず大坂を討つであろうと思う。その時、利常は速やかに軍を率いて徳川方に参陣するのである。私の体は弱り、またわが藩の重臣たちの多くは、もはや老境にあって利常の力となることはないのである。私たちに変わり、利常を助け、先代が残した遺業を守りぬいてほしい。

 

われ死なばすなわち天下自ら統一して太平ならん
現代語訳:私ひとりが死ねさえすれば天下の争いは治まり、自然と統一されて太平の世となるであろう

 

 

 

 

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