聖徳太子名言集(2)実在か伝説か?十七条憲法を定めた歴史教科書の偉人の言葉

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聖徳太子(Prince Shōtoku)

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) – 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))・厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)は、飛鳥時代の皇族・政治家。「聖徳太子」は、後世の諡号。用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女。

推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど進んでいる中国の文化・制度を学び冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を取り入れ神道とともに厚く信仰し興隆につとめた、とされる。

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日本の礎を作った聖徳太子の言葉

【原文】
九曰。信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。

【読み下し】
九に曰わく、信はこれ義の本(もと)なり。事毎(ことごと)に信あれ。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん、群臣信なきときは、万事ことごとく敗れん。

【意味】
九番目に言う。真心は人の道の基本である。何事にも真心がなければいけない。事の善し悪しや成否は、すべてのことが真心のあるなし次第だといえる。官吏たちに真心があるならば、どんなことでも達成できるだろう。群臣に真心がないなら、どんなことも全て失敗することになるだろう。

【原文】
十曰。絶忿棄瞋。不怒人違。人皆有心。心各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理能可定。相共賢愚。如鐶无端。是以彼人雖瞋。還恐我失。我獨雖得。従衆同擧。

【読み下し】
十に曰わく、忿(こころのいかり)を絶ち瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違(たが)うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執(と)るところあり。彼是(ぜ)とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫(ぼんぷ)のみ。是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独(ひと)り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。

【意味】
十番目に言う。心の中の怒りをなくし、怒りを表情に出さないようにし、他の人が自分の考えと違うことをしても怒ってはならない。それぞれ人に別々の考えがあり、それぞれに自分がこれが正解だと思うことがある。相手がこれが正解だと言っても、自分は正しくないと思うし、自分がこれが正解だと思っても、相手は正解だと思わないことがある。
自分は聖人で、相手が愚かだということはない。皆ともに凡人なのである。そもそものところ、これが正解であるとか、これが間違いであるとか、一体誰が決めるのだろうか。おたがいだれも賢くもあり、愚かでもある。それはイヤリングに端がないようなものである。そういうわけで、相手が怒っていたら、むしろ自分が何か間違えているのではないかと気にしなさい。自分ではこれが正解だと思っても、みんなの意見にしたがって行動するべきなのである。

 

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