楠木正成
楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。出自不詳。自称は橘氏後裔。息子に正行、正時、正儀。
元弘の乱(1331年 – 1333年)で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らとともに天皇を助けた。延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。(Wikipedia)
軍神「楠木正成」の名言
良将は戦わずして勝つ。
現代語訳:有能な将軍は戦わずに勝つのである。
-楠木 正成-
足ることを知って、及ばぬことを思うな。
現代語訳:足りている部分に目を向け、足りないことを考えるのはやめなさい。
-楠木 正成-
合戦の勝負、必ずしも大勢小勢に依らず、ただ士卒の志を一つにするとせざるとなり。
現代語訳:戦いの勝ち負けは、必ずしも兵の数の多い少ないではなく、兵の心を一つにすることで決まるのである。
-楠木 正成-
大将は大なる知恵も細なる知恵もなくてはかなわぬものなり。知恵は生まれつきにありというも、その知恵を磨かざれば正智いずることなし。知恵に自慢おごりて、磨かざる大将はみな代々持ち来る国を失い、家をなくすものなり。
現代語訳:大将は、大きな知恵も小さな知恵も持ち合わせていなければ大きな仕事はできない。知恵が生まれつきあったとしても、それを磨くことがなければ、正しい知恵や考えをもつことができない。知恵を自慢して、その知恵を磨かない対象は全員、祖先から代々引き継いだ国を失い、家を失ってしまうものである。
-楠木 正成-
謙遜の者は遂に幸来る。不遜の者は災害来る。
現代語訳:謙遜するものには幸せがやってくるが、謙遜をせずおごり高ぶるものには災難がやってくる。
-楠木 正成-
鶏鳴に起きざれば、暮れに悔いあり。
現代語訳:鶏が鳴く時間に起きて活動を開始しなければ、日暮れに悔むことになる。
-楠木 正成-
大将たらん人は、心に油断の義ありては叶うべからず。あまたの心得あるべし。まず能者を親しみ近づけ、姦しき者を遠ざくべし。国家の風俗おのずからよくなるものなり。それにしたがって自然に対象の知恵もいや増しに出るものなり。
現代語訳:大将である人物は、心に油断があっては何事も成し遂げることができない。色々なことに精通しているべきである。まず有能なものを自分のところに近づけ、自分を裏切りそうなものとを遠ざける。そうすれば、国家の風紀は勝手によくなり、おのずから大将の知恵も磨きがかかっていくものである。
-楠木 正成-
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