諸葛亮(孔明)
諸葛 亮(しょかつ りょう、拼音: Zhūgě Liàng ジューガー リァン、181年 – 234年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍師。字は孔明(こうめい)。
司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯(ちゅうぶこう)。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れている。
妻は黄夫人。子は蜀漢に仕え綿竹で戦死した諸葛瞻。孫には同じく蜀漢に仕え父と共に綿竹で戦死した諸葛尚や、西晋の江州刺史になった諸葛京がいる。親族として叔父の豫章太守諸葛玄、同母兄で呉に仕えた諸葛瑾とその息子の諸葛恪、同母弟で同じく蜀漢に仕えた諸葛均などが知られる。一族には、魏に仕えた諸葛誕などがいる。(Wikipedia)
劉備の創業を助けた天才軍師「諸葛亮孔明」の名言
夫れ用兵の道は、人の和に在り。
【意味】:兵を統率する心得として人の和を作ることが必要である。
-諸葛亮孔明-
我が心、秤しょうの如し。人の為に低昂する能はず。
【意味】:私の心は天秤のようである。人のために上下することはない。
-諸葛亮孔明-
臣、本布衣、南陽に躬畊し、性命を乱世に苟全して、聞達を諸侯に求めず。
【意味】:私はもと無位無冠の平民であり、南陽において田を耕し、この乱世にあっては命を全うできればいいと、諸侯に仕えての名誉栄達を求めてこなかった。
-諸葛亮孔明-
小善を必ず録し、小功を必ず賞せば、則ち士勧まざる無し。
【意味】:小さな良い行いを必ず記録し、小さな成果を必ず賞賛していれば、人のやる気がなくなることはないのである。
-諸葛亮孔明-
夫れ必勝の術、合変の形は、機に在るなり。
【意味】:必ず勝つやり方や型は、常にタイミング次第である。
-諸葛亮孔明-
将帥、勇ならざるは、将なきに同じ
【意味】:将軍が勇敢でないのは、将軍がいないのと同じである。
-諸葛亮孔明-
賢臣を親しみ、小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆せし所以なり。
小人を親しみ、賢人を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽せし所以なり。
【意味】:賢臣に親しく接し小人を遠ざけたことが前漢の興隆した原因である。小人に親しく接し賢臣を遠ざけたことこそ、後漢が国を傾け衰退した原因である。
-諸葛亮孔明-
宜しく聖聴を開帳すべく、宜しく忠諌の路を塞ぐべからず。
【意味】:よく臣下の言葉を聞き、忠義にもとづく諫言には、道を閉ざさないようにするべきである。
-諸葛亮孔明-
宮中・府中は倶に一体たり。臧否を陟罰するに、宜しく異同あるべからず。
若し、姦を作し、科を犯し、及び忠善の者有らば、宜しく有司に付して、その刑賞を論じ、以って平明の治を昭かにすべし。
【意味】:宮廷と丞相府とは一体であります。善を賞し悪を罰することにおいては、宮廷と丞相府とで違いがあってはならない。もし悪事を行い罪を犯す者、あるいは忠義善良な者には、役人に命じて、刑罰や褒賞を決めさせ、公平正明な政治を天下に明らかにするべきである。
-諸葛亮孔明-
鞠躬尽力、死して後已まん。
【意味】:うやうやしく身を屈めコツコツ努力することを、死ぬまでやめることはない。
-諸葛亮孔明-
諸葛亮関係者の名言
劉備玄徳名言集|諸葛亮と共に曹操と覇権を争った三国時代に活躍した蜀王
司馬懿(仲達)名言集|群雄割拠の三国志を制した諸葛亮孔明の宿敵の言葉