足利義尚
足利 義尚(あしかが よしひさ)は、室町時代後期の室町幕府第9代征夷大将軍(在職:文明5年(1473年) – 1489年)。
『尊卑分脈』や『足利家官位記』により、晩年に義煕(或いは義凞)(よしひろ)と改名したことが確認できるが、一般的には義尚の名で知られる。応仁の乱では、叔父の足利義視と将軍職をめぐる対立候補として擁立された。乱後は衰退した幕府権力を回復すべく、六角征伐などの積極的な幕政改革を行なったが、在陣していた近江国の陣中にて病死した。
(出典:Wikipedia)
足利義尚の名言
ながらへば 人の心も 見るべきに 露の命ぞ はかなりけり
もしを草 あまの袖じの 浦波に やどすも心 有明の 月出る日の よの国までの 鏡山を 思し事も いたづらの身や
[辞世の句] 出づる日の 余の国までも 鏡山と 思ひしことも いたづらの身や
足利養尚関係者の名言
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