フビライ・ハン
モンゴル帝国の第5代皇帝であり、元朝の初代皇帝(カアン)。同時代のパスパ文字モンゴル語およびモンゴル文字などの中期モンゴル語のラテン文字転写では Qubilai Qa’an、Qubilai Qaγan。現代モンゴル語のキリル文字転写ではХубилай хаан。漢字表記は忽必烈。『集史』をはじめとするモンゴル帝国時代のペルシア語表記(『集史』「クビライ・カアン紀」など)では قوبيلاى قاآن Qūbīlāī Qā’ān など書かれる。死後は諡を聖徳神功文武皇帝、廟号を世祖と称し、モンゴル語での尊号は「賢きカアン」を意味するセチェン・カアン(Sečen Qa’an 薛禅皇帝)。
その即位にあたる内紛からモンゴル帝国は皇帝であるカアン (Qa’an) を頂点とする緩やかな連合体となり解体が進んだ。帝国の南北分裂の原因となった弟のアリクブケとの権力闘争に勝利したクビライは、帝国の中心をモンゴル高原のカラコルムから中国の大都(現在の北京)に移動させるなど様々な改革を打ち出した。クビライの代以降、カアンの直接支配領域はモンゴル帝国のうち中国を中心に東アジアを支配する元朝(大元国)に変貌した。
(出典:Wikipedia)
フビライ・ハンの名言
魏徴のような人物を求めよ。そのような人物がいなければ、魏初に似たような人物を求めよ。
※魏徴:唐の皇帝李世民を幾度となく諫めた君臣
フビライ・ハン関係者の名言
チンギス・ハン名言集|世界史史上2番目の国土を有したモンゴル帝国の初代皇帝の格言