藤原頼道名言集|和歌の発展に多大な功績を残した藤原道長の息子の言葉

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藤原頼道(Fujiwara no Yorimichi)

藤原 頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿、歌人。藤原北家、摂政太政大臣藤原道長の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。

父道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇、後冷泉天皇の治世にて、関白を50年の長きに亘って務め、父道長と共に藤原氏の全盛時代を築いた。現代に残るその栄華の象徴が頼通が造営した平等院鳳凰堂である。

しかし天皇の后にした娘が男子に恵まれなかったばかりか、刀伊の入寇、平忠常の乱、前九年の役など戦乱が相次ぐなど、朝廷の内外からそれまでの絶対的な権力体制を揺さぶられる事態が生じた。それに加えて晩年には頼通と疎遠な後三条天皇が即位したこともあり、摂関家の権勢は衰退へ向かい、やがて院政と武士が台頭する時代へと移ることになる。

(出典:Wikipedia)

藤原頼道の名言

そらならばたづねきなまし梅の花まだ身にしまぬ匂ひとぞみる

現代語訳:うわの空ならふわふわと我が家に飛んで来てもよいのに。梅の花の匂いがまだ身に染み付いてはいないようですね。

 

折られけりくれなゐ匂ふ梅の花今朝しろたへに雪は降れれど

現代語訳:折ることができましたよ、紅の美しい梅の花を。今朝は雪が真っ白に降っていますけれども。

 

有り明けの月だにあれやほととぎすただ一声の行く方も見む

現代語訳:せめて有明の月だけでもあればなあ。そうすれば、ほととぎすがただ一声鳴いて飛び去る行方をこの目で見ようと思うのに。

 

 

 

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