武田信玄名言集 |風林火山!甲斐の戦国大名であり上杉謙信の宿命のライバルの言葉

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武田信玄(Takeda Shingen)

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化し国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃への帰還中に病没した。

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徳川家康も恐れた甲斐の虎「武田信玄」の名言

強い意志を持ってやれば必ず実現できるのである。
一方、やらなければ何事も実現できない。
努力すればできることであっても、最初から無理だと諦めてしまうところに、人の弱さがある。
-武田信玄-

 

 

 

人は城と同じ、人は石垣と同じ、人は堀と同じである。
人に情けをかけていれば、自分がピンチとなった時や、何か行動を起こす時には助けてくれるのである。しかし、人に恨みをかうような行動や言動をしていると、自分が困った時には動いてくれなかったり、裏切られたりするのである。
-武田信玄-

 

 

 

武将が陥りやすい三つの大きな間違い。
一、分別ある人を悪人と見てしまうこと
一、遠慮ある人を臆病と見てしまうこと
一、軽はずみな人を勇剛と見てしまうこと
-武田信玄-

 

 

 

負けてはならない軍に負け、滅んではならない家が滅ぶことを、人はみんな天命と言う。
私からするとそれらは天命とは思はなくて、全てやり方が悪いことが原因だと思うのです。
-武田信玄-

 

 

 

厳しい規則を作り、部下に強制していたとしても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあってないようなものである。
人に規則を守らせるためには、まず自身の言動を反省した上に、間違っていることがあればすぐに改める姿勢を強く持たねばならない。
-武田信玄-

 

 

 

三回ものを言って、三回とも言っている事が変わる人間は、嘘をつく人間であると考えるべきである。
-武田信玄-

 

 

 

大将たるもの、人を使うのではなく、その人の特技を使うようにしなさい。
-武田信玄-

 

 

 

戦いは四十歳より下の時は勝つように心がけ、四十歳を過ぎてからは負けないようにするとよい。ただ、二十歳前後の時は、自分より弱い敵に対して、負けなければよい。勝ちすぎてはならないのである。将来を第一に考えて、気長に対処することが大切である。
-武田信玄-

 

 

 

勝負ごとは、六分か七分勝てていればそれで十分なのである。
八分の勝ちはすでに危険であり、九分、十分の勝ちは、油断につながる可能性があり、大敗を招く下地となる。
-武田信玄-

 

 

 

自分から信頼するからこそ、人は尽くしてくれるようになるものである。
-武田信玄-

 

 

 

大将たるものは、自分が好んでしまう同じようなタイプの人ばかりを使ってしまうことを避けなければならない。
-武田信玄-

 

 

 

もう一押しという時こそ、慎重にものごとを進めるべきである。
-武田信玄-

 

 

 

戦いは五分の勝利をもって最高のものとし、七分を普通のもの、十分は最低となる。
理由としては、五分は励みをうみ頑張ろうとする下地を作りが、七分は怠りを生じ、十分はおごりを生じさせることになるからである。
-武田信玄-

 

 

 

将たる者は、自分の部下に慈悲の心をもって接することが最も重要である。
-武田信玄-

 

 

 

疾きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如く。
-武田信玄-

 

 

 

自分がやりたいと思うことよりも、自分が嫌だと思うことを先にやりなさい。
こういう心構えさえあれば、志の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずである。
-武田信玄-

 

 

 

人間にとっての学問とは、木の枝におい繁る葉と同じである。
-武田信玄-

 

 

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