釈迦/仏陀/ブッダ(Gautama Buddha)
釈迦(しゃか)は、紀元前5世紀前後の北インドの人物で、仏教の開祖である。
心が軽くなるお釈迦様の名言
学ぶことが少ない人は、牛のように老いてしまう。
彼の肉は増えるが、彼の知恵は増えないのである。
-ブッダ(釈迦)-
道理にかなった教えをしらずに百年生きるよりも、道理にかなった教えを聞いて一日を過ごす方がはるかにすぐれているのである。
-ブッダ(釈迦)-
多くのことを語るといっても、彼が賢者であるわけではないのである。
心を落ち着かせ、決して怨むことなく、怖れることのない人。
そういう人こそ「賢者」と呼ばれるのである。
-ブッダ(釈迦)-
今日しなくてはならいことを明日に延ばすことなく、しっかりとこなしていくことこそ、よりよい一日を生きる道である。
-ブッダ(釈迦)-
たとえ、ためになることを数多く語ったとしても、それを実行することがないのであれば、その人は怠っているのと全く変わらないのである。
-ブッダ(釈迦)-
他人がした間違いばかりを見てはいけません。
他人のしたことや、しなかったことを見てはいけません。
ただひたすらに、自分のしたこととしなかったことだけを見るべきであります。
-ブッダ(釈迦)-
旅に出ててから、もし自分よりすぐれている者か、または自分と同じくらいの者に出会わなかったら、独りで行くのが賢明である。愚かな者を道連れにしてはならない。
-ブッダ(釈迦)-
愚かな人は、常に名誉と利益とに苦しむ。
出世をしたい、権力を獲得したい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむことになるのである。
-ブッダ(釈迦)-
この世界では、食物や飲料をたくさん持っている人は、たとえ悪いことを行っていたとしても、彼らは愚かな人々から尊敬されるのである。
-ブッダ(釈迦)-
怨みは怨みによって鎮まらないのである。怨みを忘れたとき、はじめて怨みは鎮まるのである。
-ブッダ(釈迦)-
過去を振り返ってはならない、未来は待ってはならない。
ただ現在の一瞬だけに集中して、強く生きねばならない。
-ブッダ(釈迦)-
目標が達成されるまでは、人間は努力する必要があるのである。
自分の立てた目標がそのとおりに実現されるのを見るべきなのである。
-ブッダ(釈迦)-
沈黙しても批判されるし、多く語っても批判されるし、少し語っただけでも批判されてしまう。この世に批判されない者はいないのである。
-ブッダ(釈迦)-
善をなすことを急ぐべきであります。
善をなすことのにのろのろしていたら、心は悪を楽しむようになってしまいます。
-ブッダ(釈迦)-
賢者に備わる最大の能力は、決して倒れない事ではない。倒れるたびに起き上がる事である。
-ブッダ(釈迦)-
水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、大きな水瓶でも満たすことが出来るのである。
-ブッダ(釈迦)-
苦悩を乗り越えるための聖なる方法は、今から言う八つのことで代表されます。
1. 正しいものの見方
2. 正しい決意
3. 正しい言葉
4. 正しい行為
5. 正しい生活
6. 正しい努力
7. 正しい思念
8. 正しい瞑想
-ブッダ(釈迦)-
生まれはその人には関係ありません。ただひたすらに行いだけを見るべきであります。
-ブッダ(釈迦)-
それ一点に執着してしまうと、ただそれだけに惑わされてしまうのだ。
それために、ものの姿を客観的によく見ることができなくなってしまう。
執着を離れると、ものの姿をよく知ることができる。
だから執着を離れた心が大切なのである。
-ブッダ(釈迦)-
自分に実力がないのにもかかわらず、他人の批判ばかりをしてはいけません。
-ブッダ(釈迦)-
思慮のある人は、奮いたち、努力をし続けることで、自制・克己によって、激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい。
-ブッダ(釈迦)-
堅い岩が風に揺るがないように、賢い人は、批判されても称賛されても心を動かさない。
-ブッダ(釈迦)–
自分を抑えることと、多く語ることなくじっくりと考えることは、あらゆる束縛を断ち切るはじめの一歩である。
-ブッダ(釈迦)-
まず自分を正しく整えあることから始め、そのあとで他人を教えるようにしなさい。
そうすれば懸命な人は、煩わされて悩むことがないと思います。
-ブッダ(釈迦)-
「わたしは愚かである」と認めている者こそ、賢者であるといえます。
-ブッダ(釈迦)-
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