坂上田村麻呂名言集|桓武天皇に仕えアテルイと戦った初代征夷大将軍から学ぶ言葉

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坂上田村麻呂(Sakanoue no Tamuramaro)

坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。

姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。父は左京大夫・坂上苅田麻呂。

官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。

4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度にわたり征夷大将軍を勤めて征夷に功績を残した。

薬子の変では大納言へと昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後は嵯峨天皇の勅命により平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、「王城鎮護」「平安京の守護神」「将軍家の祖神」と称えられて神将や武神、軍神として信仰の対象となる。現在は武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの田村語り並びに坂上田村麻呂伝説が創出された。

坂家宝剣では坂家。

(出典:Wikipedia)

坂上田村麻呂の名言

このやり方で人を殺すことは、百万人でも簡単なことなので、ぜひ征討を命じてください。
-坂上田村麻呂-

 

 

この度は大墓公阿弖利爲(アテルイ)と盤具公母禮の願いを聞き入れて胆沢へと帰し、2人の賊類を招いて取り込もうと思います。
-坂上田村麻呂-

 

 

かつて自分は10万の兵を率いて東夷を征討した際、朝廷の威光を頼りに向かうところ敵なしであったのであるが、今考えてみると計略や兵術について究めていない点が多数あった。葛井親王は幼いながら武芸がすばらしく私の及ぶところではないのです。
-坂上田村麻呂-

 

 

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