上杉景勝名言集|直江兼続と共に戦国時代を生きたい関ケ原の西軍総大将から学ぶ言葉

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上杉景勝(Uesugi Kagekatsu)

上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権の五大老の一人。米沢藩の初代藩主。山内上杉家17代目。

上田長尾家出身で、初名は長尾顕景。同じ長尾家出身の叔父・上杉謙信の養子となり、名を上杉景勝と改めた。実子のいない謙信の死後、上杉家の家督相続を争った御館の乱で勝利し、謙信の後継者として上杉家の当主となった。

豊臣秀吉に仕え、豊臣家五大老の1人として、会津藩120万石(「上杉家記」では120万1,200石余、上方の在京領は除く)を領した。秀吉の死後、徳川家康が景勝討伐に向かい関ヶ原の戦いが幕開け、景勝は石田三成ら西軍に付き敗北した。戦後に、徳川家康から上杉家の存続は許されたが米沢藩30万石へ減封となった。

(出典:Wikipedia)

上杉景勝の名言

自分は良い時代に生まれた。六十余州を相手に越後一国をもって戦いを挑んで対峙し、滅亡することは、死後の思い出である。

 

当領内には一人のキリシタンも御座無く候。

 

大将は近きとて危うき道は行かざるものなり。

 

人の危うきに乗ずるは、上杉兵法に非ず。

 

武士の家に生まれて先陣を他家と争い、朝から身を粉にして奮戦してきた場を、いくら上意とはいえ譲ることはできないのである。

 

 

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