井伊直弼名言集|日米修好通商条約の締結や安政の大獄を断行した江戸幕府大老から学ぶ言葉

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井伊直弼(Ii Naosuke)

井伊 直弼(いい なおすけ)は、幕末の譜代大名。近江彦根藩の第15代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、開国派として日米修好通商条約に調印し、日本の開国・近代化を断行した。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。

幼名は鉄之介(てつのすけ)、後に鉄三郎(てつさぶろう)。諱は直弼(なおすけ)。雅号には、埋木舎(うもれぎのや)、柳王舎(やぎわのや)、柳和舎(やぎわのや)、緑舎(みどりのや)、宗観(そうかん)、無根水(むねみ、異体字:无根水)がある。大獄を行って以降は井伊の赤鬼(いいのあかおに)の渾名でも呼ばれた。

(出典:Wikipedia)

井伊直弼の名言

人は上の立場であっても、下の立場であっても 楽しむ心がなくては、一日も世を渡ることは難しいものである。

 

足る事を知りて楽しむ快楽は本当の楽しみではないのである。

 

重罪は甘んじて我等一人に受候決意

 

鎖国には天主の邪教(キリスト教)を防ぐという国益がある。

 

海軍力を整備し、遠洋を航海できる技術を得れば、時宜を得て鎖国に戻すことも可能である。

 

その場合は致し方ないが、できるだけ引き延ばすようにしたい。

 

掩ふべき袖の窄きをいかにせん行道しげる民の草ばに

 

外国人の説に感服して一歩ずつ譲歩するのは嘆かわしく。皇国風と異国風の区別を弁えるべきである。

 

 

 

 

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