足利義満
足利 義満(あしかが よしみつ)は、室町時代前期の室町幕府第3代征夷大将軍(在職:応安元年/正平23年12月30日(1369年2月7日) – 応永元年12月17日(1395年1月8日))である。将軍職を辞した後、清和源氏で初の太政大臣。父は第2代将軍・足利義詮、母は側室の紀良子。祖父に足利尊氏。姓名は源 義満(みなもと の よしみつ)。室町幕府第2代征夷大将軍・足利義詮の長男で足利満詮の同母兄にあたる。
南北朝合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。義満が邸宅を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。後に足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に歴史用語として「室町幕府」と呼ばれることになった。
(Wikipedia)
足利義満の名言
たのむかな我がみなもとの岩清水流れの末を神をまかせて
(足利一族のおおもとをなす源氏の氏神の石清水の杜に向けて)
一身を託して祈ることだ。我が一族のおおもとをなす源氏の氏神の石清水の社に、
その流れの末は神の意のままに任せて。
足利義満関係者の名言
一休宗純名言集|足利義満に愛されたとんちのプロ「一休さん」の言葉