石田三成名言集|西軍の総大将として関ケ原の戦いで敗れた豊臣政権の五奉行から学ぶ言葉

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石田三成(Ishida Mitsunari)

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。

豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。

(出典:Wikipedia)

石田三成の名言

時節外れの桃とはいえ中々見事であります。しかし時節外れゆえ、公(秀吉)が召し上がって何かあれば一大事でござるし、それでは毛利家の聞こえも悪くなってしまいます。ゆえに時節の物を献上なされた方がよいと思います。

 

家康の首が欲しいのである。

 

痰の毒であるから食べないのである。

 

そなた達のような小物には分からないだろうが、大義を思う者は、首をはねられる瞬間まで命を大事にするものである、それは何とかして本望を達したいと思うからである。

 

武運拙くして汝を生捕ってこのようにすることができなかったのを残念に思う。

 

五畿内の浪人を集めて兵力とし、家康に決戦を挑もうではないか。

 

生前の太閤殿下は貴殿と拙者に100万石を与えると言われたが、我々は分不相応ですと断った。思えばあの時、100万石を受けていれば今になって兵力の心配などする必要もなかったのに。

 

一時の成功よりも、事が起きた後いかに平穏にさせるのかを考えるべきである。

 

豊臣のために上杉景勝と打倒家康の策を練っていたのである。上杉が立った以上これを見殺しには出来ないのである。

 

天運によってこのようになったのである。早々に首を刎ねよ。

 

 

 

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