徳川慶喜(Tokugawa Yoshinobu)
徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ/よしひさ、旧字体:德川 慶喜、1837年10月28日〈天保8年9月29日〉- 1913年〈大正2年〉11月22日)は、江戸時代末期の江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年1月10日〈慶応2年12月5日〉- 1868年1月3日〈慶応3年12月9日〉)、明治時代の日本の政治家、華族。位階勲等爵位は従一位勲一等公爵。
江戸幕府最後及び日本史上最後の征夷大将軍である。
(出典:Wikipedia)
徳川慶喜の名言
骨が折れるので将軍に成って失敗するより最初から将軍に成らない方が大いに良いのである。
三人(春嶽、久光、伊達宗城)は天下の大愚物・大奸物である。
(中川宮に対して前日の沙汰が)偽であるというのならば命を頂戴し、某も切腹するつもりだ。
水戸徳川家では義公以来代々尊王の大義に心を留めていた。父なる人も同様の志で、自分は庭訓を守ったに過ぎないのである。
徳川慶喜関係者の名言
徳川家康名言集|座右の銘にも使える天下を統一した江戸幕府初代征夷大将軍から学ぶ言葉
徳川秀忠名言集|徳川家光を子供に持つ江戸幕府第2代征夷大将軍から学ぶ言葉
徳川家光名言集|参勤交代や武家諸法度を定めた江戸幕府第3代征夷大将軍の言葉
徳川家綱名言集|保科正之らが補佐した江戸幕府第4代征夷大将軍の言葉
徳川綱吉名言集|生類憐れみの令を制定する政治を行った犬将軍から学ぶ言葉
徳川家宣名言集|側用人として新井白石を登用した江戸幕府第6第征夷大将軍から学ぶ言葉
徳川家継名言集|側用人として間部詮房を登用した江戸幕府第7代征夷大将軍の言葉
徳川吉宗名言集|享保の改革で質素倹約の政治を行った暴れん坊将軍から学ぶ座右の銘
徳川家治名言集|側用人として老中・田沼意次を登用した江戸幕府第9代征夷大将軍から学ぶ言葉
徳川家斉名言集|松平定信を老中に登用して寛政の改革を行った大奥好き将軍の言葉
徳川家慶名言集|老中として水野忠邦を任命し天保の改革を行った江戸幕府第12代征夷大将軍の言葉
徳川家定名言集|天璋院篤姫の夫であり老中阿部正弘の補佐を受けた将軍の言葉
徳川家茂名言集|勝海舟を重用し皇女和宮を嫁にもらった江戸幕府第14代将軍の言葉